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恩師の命日(2/2)

その後、上司は、会社を退職し別会社の社長として、退職後も薬局経営をされておりました。

上司と部下の関係でなくなってからは、時々薬局経営のことなど電話でお話をする程度のお付き合いとなりましたが、時にゴルフに、時にお食事にと、お誘いいただいたこともありました。あれだけ焼酎のお湯割りが好きであった上司も随分お酒が弱くなったなと感じたことをよく覚えています。

別会社の社長となった時は60代半ばでした。当初は事業意欲も旺盛に見えましたが、加齢ととともに徐々にその意欲も薄れていくのを僭越ながら寂しく感じていました。

社長であった別会社も間もなく分離することとなり、結果として薬局1 店舗を経営する会社となりました。

実際は、分かりませんが、薬剤師でない上司が薬局を守っていくことには大変な苦労があったと想像しています。

 

そんな上司も2016年9月8日にご逝去されました。亡くなられる1ヶ月程前にお電話があり、一度会いたいとのことでした。細かく説明はされませんでしたが、精密検査前ではありましたが、余命はどうやら長くなく、会社、店舗をどうするべきか意見を聞きたいということでした。上司自身は、苦労があってもこの会社、店舗を守るということに拘っていましたが、誰かにこの苦労を背をわせてまで会社、店舗を守らせるのは憚られると考えておられ、大変悩んでいる様子でした。

この店舗の開発が私であったことや、この時点でも私が採用面接した社員の一部が在籍していた点から義理堅く私に店舗を返すべきではないかと考えたように思います。

私は、この店舗への特別な思いはありましたが、上司にとって最善の道を選んでくださいとお伝えし、数週間後に実施される精密検査の結果を待つことにしました。

しかしながら、検査の結果を聞く前にご自宅で倒れ、あっという間に帰らぬ人になってしまいました。

 

 

 

一緒に過ごしたあの当時、当たり前のように毎週月曜の朝に営業部のミーティングがありました。ミーティングは上司の一言から始まりました。手書きで要点をまとめた書類を部下達にニッコリとしながら配布し「例によって焼酎を飲みながら昨晩書いた程度のものです」と呟いていた姿が忘れられません。

8年後、私も部署の責任者となり、日曜の晩に焼酎を飲み、書類をパソコンで作成し、月曜のミーティングに臨みました。尊敬する上司のやり方を真似し、きっとそんな自分に酔っていたような気がします。部下達は酔っぱらいながら作成した書類を配られていたとは気付いてはいません。

 

早くも7年が経ちます。もし今ご存命であれば、また、一緒に挑戦できたことがあるかもしれないと思うことは勝手が良すぎです。

一緒に店舗を作っていただいた取引先のみなさん含め、お世話になった先輩達の淋しいお話を聞く機会も増えました。

上司をはじめ皆さんのご協力で生かされてきました。感謝しかありません。先輩、どうぞ後輩たちを見守ってください。煙草をプカプカふかし、焼酎のお湯割りを笑顔で飲みながら。

受け止めて「やっぱりヒト」を忘れずに過去から学んで生きていこうと思います。

 

またいつか、万菊でお会いしましょう。